広島地方裁判所 昭和37年(ワ)363号 判決 1963年10月04日
原告 重政富子 外一名
被告 大盛忠博 外一名
主文
被告等は各自原告重政富子に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円、同重政福積に対し金五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年四月四日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告等のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを四分し、その三を被告等の連帯負担とし、その一を原告等の連帯負担とする。
この判決は原告重政富子において被告等に対し二〇〇、〇〇〇円の担保を供するとき、同重政福積において被告等に対し一〇、〇〇〇円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。
事実
原告等訴訟代理人は、被告等は各自原告重政富子に対し金一、五〇〇、〇〇〇円、同重政福積に対し金三〇〇、〇〇〇円並びに各これに対する昭和三四年四月四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として次のとおり述べた。
一、原告福積は昭和三四年四月三日午後八時頃自家用小型自動四輪貨物自動車広四す二一七一号(以下単に被害車という。)に妻の原告富子を助手席に同乗させ、広島市内より帰宅の途中、広島市大洲町三丁目二七五番地大洲ゴム工業所前国道上にさしかかつた際、被告忠博が反対方向から被告会社所有の自動三輪車広六ま七二七九号(以下単に加害車という。)に会社従業員を乗せ、酩酊のうえ時速約六〇粁で運転進行してきて原告の前方を進行していた自動車広五す二四四〇号(以下単に先行車という。)の前部に突込み、これを数米後方に押し返したため、右先行車に追従していた被害車前部に右先行車の後部が激突し、よつて被告富子は左眼角膜穿孔傷、左眼虹彩脱失、右頬部切創、顎部切創等の傷害を受けた。
二、およそ自動車運転者たる者は、飲酒して運転することは厳に禁ぜられているところであるし、制限速度を厳守し、前方左右の交通の安全を確認する義務のあることも、もちろんであるところ、被告忠博は飲酒酩酊のうえ制限速度(時速四〇粁)を超える時速六〇粁の速度で国道の中央ラインを突破し先行車に突込み衝突したものであつて被告忠博の右注意義務違反の程度は極めて大であるといえる。
三、被告会社は、加害車を所有し、自己の業務のためこれを運行の用に供するものであり、被告忠博は、被告会社の業務である製品運搬のため加害車の運転に従事する者であるが、本件事故は、被告忠博が被告会社のため加害車を運転し、前記重過失によりひき起こしたものである。従つて被告会社は加害車の運行者として自動車損害賠償保障法第三条の規定に基づき、被告忠博は直接の加害者として民法第七〇九条の規定に基づき被害者たる原告両名に対し後記慰藉料支払の義務がある。
四、右事故で被害車前部の硝子が破損飛散し、そのために原告富子はその破片で前記傷害を受け、一ヶ月入院、三ヶ月通院の治療を受けたが、結局左眼失明、下顔変形の後遺症を残すに至つた。
五、ところで原告富子は昭和四年六月二日生、賀茂高校卒業後昭和二五年六月一三日原告福積と結婚し、現在二児の母でもある。原告福積は山陽中学卒業後大蔵事務官となつたが、中途退職して肩書地で妻富子の手伝をうけ時計商を営んでおりその家庭は町内で中流の生活であり、一方被告忠博は、被告有限会社大盛鉄工所の取締役、その実父大盛忠夫は同会社の代表取締役であり、実母大盛サツヨも同会社の役員である。同会社は右親子等によつて運営される所謂同族会社で資本金一、〇〇〇、〇〇〇円、東洋工業株式会社の下請工場として引物加工にあたつている。従業員一〇〇名以内、同会社は広島信用金庫等から多少の借入をしているが、年間資本金数倍の黒字を計上する優秀性を保ち、右忠夫は工場敷地等を所有し、訴外サツヨ、被告忠博もそれぞれ土地建物を所有し、その生活は上流生活環境にある。
六、前記事故により原告富子は激烈な肉体的痛苦、精神的打撃を受け、しかも生涯不具同然の不自由な生活に耐えていかねばならない状態になつた。現在は長きに亘つて専門医の治療を受けた結果精巧な義眼を挿入し、一見それと分からぬ程になつているが子供等(二人)に対してはこの義眼のことは秘している。又原告福積は妻の苦痛を分から耐え難い精神的痛苦を忍んでいる。従つてこの苦痛を慰藉するためには被告等は少なくとも原告富子に対し金一、五〇〇、〇〇〇円、同福積に対し三〇〇、〇〇〇円を支払う義務がある。よつて原告等は被告等に対し各自右各金員およびこれに対する本件事故発生の翌日である昭和三四年四月四日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告等の抗弁に対する答弁および再抗弁として次のとおり述べた。
一、本件事故発生のときから本件訴提起のときまでの間に満三年が経過していることは認める。
二、被告等は昭和三四年一一月八日原告等に対し本件事故による慰藉料債務を承認し、次いで保険金をもつて右債務の一部の支払をしたから時効は中断されている。
被告等訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求め、請求原因に対する答弁ならびに抗弁として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項中原告主張の事故のあつたことは認めるが、被告忠博の行動、衝突の原因が原告等主張のとおりであること、および先行車と被害車の衝突が、加害車と先行車との衝突に由来することはいずれも否認する。
二、第二項の事実は認める。
三、第三項中被告会社が加害車を所有し、自己の業務のためこれを運行の用に供するものであることは認めるが、その他の事実は否認する。被告忠博はその日花見帰りに母を乗せ帰宅する途中本件事故を起こしたものであつて、被告会社の業務のため自動車を運行していたものではない。
四、第四項の事実は認める。
五、第五項中、原告等および被告忠博の身分関係、被告会社の資本額、業務内容は認めるが、その余は否認する。
六、第六項は不知。
七、抗弁として仮りに被告忠博に賠償義務があるとしても、原告の本訴提起のときは、事故発生の日から三年を経過しているから、被告忠博の不法行為者としての責任は時効によつて消滅しており、被告は本訴において右時効を援用する。
証拠(省略)
理由
一、昭和三四年四月三日夜、原告等主張の場所で加害車と先行車が衝突し、ために先行車と被害車とが更に衝突して本件事故を惹起したこと、右事故で原告富子がその主張するような傷害を受けたこと、ならびに被告会社が加害車を所有しその業務のためにこれを運行の用に供するものであることはいづれも当事者間に争いがない。
二、被告大盛忠博本人尋問の結果によれば、本件事故当時被告忠博は被告会社の取締役ではあつたが、被告会社の業務のため加害車の運転に従事していた者であることが認められるところ、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条但書に規定される免責要件のすべてにわたる主張立証をしないし、本件事故が加害車の運転者たる被告忠博の運転上の過失によつて生じたものであることは後記認定のとおりであるから、いずれの点からしても被告会社は加害車の運行者として本件事故によつて生じた原告等の損害を賠償すべき義務がある。
三、そこで被告忠博の過失の有無につき判断するに、成立に争いない甲第五ないし第八号証および証人上田勝、同原田寛の各証言を総合すると、被告忠博は昭和三四年四月三日午後八時三〇分頃被告会社所有の前記加害車助手席に訴外大盛サツヨ(被告忠博の母で被告会社監査役)を、後部荷台に訴外原利克(旋盤工)を同乗させ、自からは酒約一合余りを飲酒して運転して、前記国道上を西進していたこと、原告福積は右同時刻頃前記被害車助手席に原告富子を乗せ前記国道上を東進していたこと、原告等の前方約十米の位置に訴外市川金男の運転する先行車が先行していたこと、前記国道上附近は車道の巾員一〇、一〇米アスフアルトをもつて舗装され、歩車道の区別がある路上で東方は約八〇〇米、西方は約六〇〇の間が直線かつ平担であり、この路上は昼夜とも歩行者および諸車が極めて多く、諸車の運行には十分注意を要すべき地点であること、右路上附近には街路灯の設備なく街路を照らすものは両側にならぶ各商店から洩れる僅かの灯火以外にはないが、ライトをつけた車であれば見通しは十分であること、本件事故発生の直前に前記国道上附近で交通事故があり、その実況見分のため警察官および関係人が車道に出ていたこと、被告忠博は同所附近左側車道に差しかかつたが前方に対する注意を怠つていたため、前方歩道近くに自動三輪車が停車しており、道路左側より三米の位置に交通事故見分中の警察官等がいた状況に気ずかず、至近距離に至つてはじめてこれに気づき、あわててハンドルを右に切り危険をさけようとしたとたん、前方反対方向から進行してくる先行車を発見したので、これとの衝突をさけるため更に急遽左にハンドルを切つたが、およばず加害車の右側フエンダー附近を先行車の右前方フエンダー附近に衝突させたこと、その際加害車は相当なスピードを出していたため先行車に強烈な衝撃を加え、このため先行車は三、五米余り瞬間的に後退したので、先行車に約一〇米の間隔をおき時速約三〇粁位で追従していた被害車が右衝突事故を知り、直ちに急停車の措置をとつたけれども、制動距離内に先行車が後退したため、その措置も及ばず先行車の後部に追突したこと、右追突により被害車前部、ガラス等が破損し、その破片のため同乗していた原告富子は前記傷害を受けたこと、加害車は先行車に衝突した後更に左にハンドルを切りそのまま道路を斜に進行左側にある日本通運広島支店重量品倉庫にそのまま突込め停車したことがそれぞれ認められる。右認定に反する被告大盛忠博の尋問の結果は信用できず、他に右認定を左右する足る証拠はない。
右認定の事実によれば本件事故は被告忠博が前方注視義務を怠り、前方に警察官のいるのを発見するやあわててハンドルを右に切つたため中央線を突破し反対の方向から進行して来た先行車に衝突したために惹起されたもので被告忠博の一方的過失に基因するものであることは明らかであり、先行車に追従していた原告等には何等の過失も認められない。
四、次に被告等の時効の抗弁ならびに原告等の右時効中断の再抗弁につき検討を加える。
本件事故の時から本件訴提起の時まで三年以上を経過していることは当事者間に争いがないけれども証人高橋秀人の証言ならびに原告重政福積本人尋問の結果を総合すると、本件事故発生後当事者間で損害賠償についてたびたび折衝が行われて来たこと、弁護士である訴外高橋秀人が昭和三四年一一月八日原告等を代理して被告等方を訪れ、被告会社代表者で被告忠博の代理人とも認められる大盛忠夫に対し、損害賠償の請求をしたが、その際同人は被告忠博の非を認め賠償義務のあることを認めたが、刑事責任が明らかになるまで金額の決定と支払を待つて貰いたい意向を示していたことを認めることができ右認定を覆えずに足る証拠はない。右事実からすると被告等は昭和三四年一一月八日本件損害賠償債務を承認したと解するのが相当であつて本件債務の時効は同日中断し、それ以後新たに消滅時効期間が進行しているものというべきであつて同日以後本件訴提起の日まで満三年の期間が経過していないことは当裁判所に顕著な事実であるので被告等の抗弁は理由がない。
五、進んで損害の額につき考察する。
原告等および被告忠博の身分関係ならびに被告会社の資本額、業務内容が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがなく原告重政富子、同重政福積各本人尋問の結果に徴すると、原告福積は約一二年前から時計商を営み主として外交に当り、妻たる原告富子が店で客の応待や、検眼などをしていたこと、本件事故のため原告富子は一年余りも仕事ができず、その後も店番程度に手伝いしかできないこと、原告富子は前示の傷害により左眼の虹彩を摘出し失明の状態となり義眼によつて外見上は普通と変らないように見えるが、左眼失明のため検眼等時計商として手伝は全然できず、往来の歩行も不自由でその他日常生活のあらゆる面において不便を感じていること、顔面殊に右顎部には傷痕も残り三、四年たつと整形手術を施こせばほぼ治る程度とはいえ現在容貌を著るしく傷つけられていること、傷害を受けた当時の同原告の肉体的精神的苦痛は著るしく、一時は死んだ方がよいと思つた程度であつたこと、原告福積も妻の受けたこのような傷害によつて夫として甚大な精神的苦痛を受けたことをそれぞれ認めることができ右認定に反する証拠はない。右認定の事情と原被告の職業年令その他諸般の事情とを考慮する原告等が本件事故によつて蒙つた精神的損害は原告富子に対しては金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告福積に対しては金五〇、〇〇〇円の慰藉料をもつて相当と認める。(原告福積の慰藉料の請求の認容せられうべきことについては最高裁判所第三小法廷昭和三三年八月五日判決参照)
六、以上のとおりであるから被告等両名は各自原告富子に対して金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告福積に対して金五〇、〇〇〇円およびこれに対する本件事故発生の翌日である昭和三四年四月四日からそれぞれ完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
七、よつて原告等の本訴請求を右の限度において正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 溝口節夫)